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母の日

朝の9時に姉からメールが来た。“母親の意識が無くなって救急車を呼んだ。まだどこへ運ばれるかわからん”

母親は20年前ぐらいにはじめて脳出血して左半身が麻痺してから現在まで、何度か脳出血を繰り返し、だんだん喉がうまく使えなくなっていた。いろんな色のサーティーワンが溶けた後みたいな飯しか食べれなくなったり、喋りが聞き取りにくくなったりしたが、風呂上がりに全裸で近づき、近くで急に屁をすると、狂ったように笑っていたので脳の下ネタに反応する下頭葉のハードルは下がりきっていたが頭はしっかりしていた。

数時間後また姉からメールがきた。“今、病院から帰ってきた。母親はICUにいる。重症小脳出血で出血範囲が広いので、手術できない。自発呼吸がほとんどできないので、酸素吸入して延命している。いつまでもつかわからない。今日にもヤバい。面会したが、目が開けられんし、話しかけても反応はほとんどない。”

20年前にはじめて脳出血した時に、母親がICUでピトーを倒したあとのゴンみたいになってた姿を見た衝撃が強烈で、医者にも「覚悟しておいてください」と言われていたため、その時から現在までずっと覚悟ができていた。あーとうとう来たかという感じだ。そういえば、今日は母の日だ。

次の日の朝9時にまた姉からメールが届いた。“9時40分死亡”。

お通夜、葬儀に出るためにひさしぶりに来た羽田空港はコロナの影響で数本しか便がないためガラガラだった。今年はろくなことがない。フライトの間選べる無料の飲み物もパックのお茶しか選択肢がない。いつもりんごジュースを飲んでたのに..(涙)と小さすぎる不幸まで噛みしめながら藍染と投石の街徳島に着いた。県知事が藍染のマスクをして投石すなと会見をしていた。空港の出口を出て、石が飛んできたら、屁で空を飛び、鼻くそを落とし、小便でカタパルトを腐らせて応戦しようと思っていたが、迎えに来た姉しかいなかった。

お通夜は私服でいいと言われたので、サルエルパンツと赤いスニーカーのそれにしてものコーディネートで向かった。家族葬なので俺、姉、兄、父親、母親の妹、その旦那さん。の6人しかいない。気楽で助かる。これから、遺体が来て、体を洗ってから白装束に着替えさせ、化粧をし、棺に入れるようだ。しばらくすると、シートに巻かれた母親の遺体がやってきた。はじめて顔を見たが、ちょっとみかんを食べ過ぎたぐらいの顔色で、ただ寝ているように見えた。生きてる間に最後に会ったのは今年の正月。漫画家になったことを伝えるとちゃんと理解したのかはわからないが「すごいな」と言っていた。

引きこもりでニートの兄は死んだおじいさんの遺品のスーツを着て葬儀場に来ているが、現実を受け止めたくないのか祭壇のある畳の部屋に上がって来ず、ふすまを開けて一段降りたところの場所でずっと鼻をすする音と舌打ちを響かせながら行ったり来たりウロウロしていた。時々癖のげっぷも飛び出し、そのたび葬儀屋の人たちが見つめていた。

明日の葬儀はさすがに喪服を着た方がいいのだが、最近コロナで元々少なかった運動がさらに減り、めちゃくちゃ太ったのでレンタルできる喪服の中に合うサイズが無く、葬儀屋の方が他の葬儀場も探してくれるようだが、もし無かったら買いたくないのでこのまま私服で出るか、偶然通りかかった野次馬として遠くから私服で参加しようと思っていた。これが合わないと終わりですと持ってきてくれた喪服がなんとか合った。ありがとうございます。

お通夜の儀式が終わると、誰か1人このまま葬儀場に泊まって、朝まで遺体の前にある線香を絶やさないようにしないといけないらしい。なぜか俺が指名された。なんでやと思いながらも、まあ父親と姉は入院からここまで疲れてるし、兄はああだし、まあ俺かあと泊まることにした。

遺体が置いてある畳の部屋は、遺体が置いてある以外は旅館だった。ふわふわの布団、お風呂、歯ブラシ、冷蔵庫。蚊取り線香のようにぐるぐる巻きの形の線香から煙が出ている。これを4時間後の24時に1度変えれば朝までもつらしい。棺の小窓は開いたままになっているので、いつでも顔が見える。化粧をされてさっきよりもさらにただ寝てるだけのように見えた。この顔も明日には焼かれて見れなくなると思うと、急にずっと訪れてなかった悲しい感情が湧き出てきた。人前にいると家族であろうが泣くことがない。我慢するというよりそういう感情にならない。ひいたところから眺めてしまう。たぶん今日泊まって1人になってなければ、ずっと工場見学の工程を見るように「ほー、なるほど。ふむふむ」と泣くこと無く、火葬場で骨を眺めていただろう。死んだら何もわからないだろと冷めた気持ちもあるが、まるで寝てるような顔を見てると、何も答えないが聞いてるような気はしてくる。念のためシャワーを浴びたあと、全裸で近づき、屁もしておいた。

毎日香じゃない独特な線香の臭いの中で食事をする気になれないが、今日はまだ何も食べてなかったのでコンビニで買って冷蔵庫に入れてあった冷やしとろろそばを取り出し、食べようとすると麺がシャリシャリに凍っていた。冷蔵に入れてたのに信じられない強さで凍っている。どこの葬儀場の冷蔵庫もそうなの??遺体とか冷やすことに意識が高いから??と、自然解凍するまでしばらく待ったあとすするとかき氷みたいな歯の染み方をした。

次の日の昼、棺の蓋を閉じる前に家族で花束や一緒に焼いてもらう物を入れた。姉はなぜかパジャマを2着入れていた。俺はどうせ読めないしとまだ渡してなかった自分の単行本一巻と二巻を入れた。漫画家になってることを知らない父親や兄は不思議そうな顔で見ていたが視線を無視して胸元に並べた。お坊さんが戒名をつけたので、戒名の説明をしてくれたが、病気を何度も堪え忍んだことを表す名前で、そんなのつけるなよ下手かよと思った。父親からどんな人生だったかのデータを聞いたと思うから、伝えたほうの問題もある気がするが、そんな母親の人生の後半の一部分のしんどいところを死んだあとも名前にすな。舟木一夫とホールケーキが好きだったから舟木円柱(ふなきえんばしら)とかにしろよと今日鬼滅の刃の新刊が出てたことも思い出した。

葬儀場から焼き場へ。喪主の父親と遺影を持った姉は霊柩車で、他は葬儀場のマイクロバスで移動した。焼き釜に入れたあと1時間半後再び焼き釜の前に呼ばれると、母親が灰と骨だけになっていた。自分で想像してたように「ほー、ゆでたまごの殻みたいですな」と眺めていたが、兄は嗚咽を漏らしていた。

帰省するたび母親に聞かされる俺が子供の頃のかわいいエピソードがあって、怖い夢を見たのか隣で寝てた母親に「手つないでいい?」とお願いしたことと、人参が嫌いだがうさぎちゃんと呼ばれるとあーんとしていたこと。今も母親の夢に出てくる俺は園児らしい。俺をどうしたいんだ。といつも思っていた。死んだ先の世界があるかどうか知らないが、見守るとかしなくていいし、なんなら俺や家族を忘れてほしい。自分の好きなことだけしてすごしてくれと願った。
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Secre

単行本を棺にいれるところで涙が出ました
お母様も誇らしいでしょうね

俺や家族を忘れてほしいというところがたかさんらしいと思いました。

合掌…

何年か前に拝見したお母様の写真がとても可愛らしくて、ずっと覚えています。

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プロフィール

たか たけし

Author:たか たけし


ビッグコミックスペリオール「住みにごり」連載中



週刊ヤングマガジン「契れないひと」連載 全3巻



たかたけしの店 https://suzuri.jp/takatakeshi



お仕事などの連絡先 takatakeshi300@gmail.com

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