ベランダ
10年前ぐらいに漫画家になろうと上京した時今のアパートに住もうとすぐ決めた。実家が大阪に住むことさえリアリティがない徳島の田舎ということもあって、東京のどこに住みたいかと聞かれても池袋、渋谷、浅草、吉祥寺とろくでなしブルースの四天王しか思い浮かばなかったので、家賃も世田谷は浜ちゃんが住んでるから高い、中野に貴乃花がいる、ゆりかもめ、肩にカラスを乗せて自転車で走っている清水ミチコを見たなどの薄らとしたイメージとトスポの情報しかなく、自分だけで決めたら取り返しのつかないことになりそうで、幸運なことに先に上京してた地元の友達の山地(やまぢ)がいたのであいつ貧乏だしその近辺なら間違いないだろと思い、相談したら不動産屋を紹介してくれたのでそこに決めた。
中学生の頃休み時間はよくベランダに出ていた。それは別にベランダが好きだったわけではなく、教室にいるクラスの女子やゴリラの顔マネで誰かの背中を上から下に叩くことで主にウケてる宮迫みたいなクラスの人気者の男やダークシュナイダーのことと思ったら自分のエロい話をしてるヤンキーたちから感じる俺とは関係ない空気に耐えられず、ベランダのくせにほぼ不法投棄とドブ川しか見えない景色を無心で見ている人たちが集まったら、自然と気が合う人たちも集まったというだけでその中に山地(仮名)もいた。
山地は小学生からの友達で一人っ子ということもあってか親が厳しかった。昔はというかうちの地域だけかわからないが、学校の行事で自転車に乗るための自転車検定というのがあって、運動場に白線で引かれた道路の上を走らされ、そこでひとつでも交通違反をすれば自転車に乗れなくなり、小1の時、試験当日に初耳の手信号をやらされるASAYANみたいな謎のいじわるで全員不合格になり、ピカピカの自転車が没収されるということがあったので、自分の家から2キロぐらい離れた山地の家まで歩いて遊びに行ったら、「今掛け算してるから」と山地のおじいさんに簡単に帰らされ、網戸の向こうで机に向かいながら一礼だけする山地が見えた。
山地の家の食事は、親父が「おかわり」というと山地が茶碗を受け取り、ご飯をつぎに行かなきゃいけなくて、侍みたいな主従関係が親子の間であった。遊びに行ってもおじいさんや親父に会うのが恐ろしくて、玄関で「やーまーぢくん」と叫ぶかピンポン押すか迷ってたら、いつの間にか横に立ってた山地の親父に「ピンポン押せや」と言われて漏らしそうになったり、おじいさんに戦時中に橋の上で中国人をめちゃくちゃ斬った張飛みたいな話をされ、チャンと切ってコロっといくからチャンコロと言うんやと、最近調べたらそんな由来じゃなかったので、元を知らないのに小学生に不謹慎由来ギャグを言ってつっこませようとしてたことがわかり余計に怖くなった。
山地はデブで腕力もあったので、こんなに厳しく育てられてたら絶対ヤンキーになると思ってたのだが、庭に親父といっしょに作ったタイヤのサンドバックを毎日殴って拳を鍛える拉麺マンになっていった。当時まだKー1もやってなかったのにブランコ・シカティックの話をされ、部屋に堀辺正史の骨法の本が散乱してたり、高校の修学旅行で東京に行った時自由時間はグループ行動で同じグループだったのだが、強制的に御茶ノ水のブルースリー会館に行かされ、そこで大半を過ごし、新選組の着物が欲しいと浅草に行き、さすがにイライラしてきた俺が竹下通りに行きたいと残り時間わずかで原宿へ移動し、時間が無いので露店みたいなとこで見つけた缶コーヒーのBOSSのマークが印刷されたTシャツをかっこいいと思って(何で思ったのかわからない)買い、集合場所に集まると、みんな原宿や渋谷で買った服やスニーカーを持って集まってるのに、うちのグループだけトンファーとよく見たらBOSSじゃなくてBOSEと書かれたキャラクターの頭がハゲてる全然面白くないTシャツを持って集まっていて、彼女なんてできるわけないと思った。
高校生になった山地は朝5時ぐらいになると毎日俺の家まで迎えに来るようになった。土手で組手をさせられるからだ。少し離れたところにある土手まで走り、組手というか、いろんな技の実験台にされていた。不思議なもので毎日いろんな蹴りを受け止めてると受けるのが上手くなり、あまり痛くなくなってきた。ある日山地が「蹴りを受けながらも攻撃する方法がある」と言い、蹴りを受け止める時ファイティングポーズの片腕をもうひとつの手で押さえた形でガードするのだが、当たる瞬間に肘を少し上にあげると足が砕けると教えられ、3秒後山地の足が砕けていた。悲鳴をあげながらのたうち回る山地を見ながら、ほんとに防御だけで足を砕けたことに感動した。帰り道は歩けてたので骨折はしてなかったと思うが、足を引きずり気味だったので心配したのだが本人が大丈夫というのでそういうことにした。次の日から迎えに来なくなった。
高校生の山地が突然ミュージシャンになると言い出した。普段遊びに行っても、CDなんて親父やおじいさんと共有の村下孝蔵とテレサテンと誰かから借りパクした愛しさとせつなさと心強さとしか見たことなかったのに、何があったんだと思ったらXにはまったらしい。しばらくすると、どこかから手に入れたフォークギターで曲を作るようになった。できたので聞いてくれと、曲を録音したテープと歌詞が書かれたノートの切れ端を渡され、家に帰って歌詞を見ると「はじめて君とトマト畑で出会った」と書いてあり、オヨネーズかと思ったが聞いてみると、曲調はギターなのになぜかオルゴールバージョンに聞こえて農家の恋愛ではなく普通の若者の初恋だった。もう1曲はタイトルのところにバーニングラブと書いてあり、サビのはじめに「バーニ ラブ」(バーニングをバーニと言うのはやめてくれ)と叫んだあと、「どうしてわかってくれない~」と作った曲の音の高さに自分の力が追いつかず声がどんどん出なくなって後半ギターの音しか聞こえなくなり、ここ最近で1番笑うことができた。
山地は東京の大学に進学することになり、それと共にプロになるためにバンド活動もはじめていた。この曲引っさげて東京へ殴り込みに行く度胸は買うが、友達の俺だから笑うのであって(それも不本意だろうが)、東京の人に聞かせたらバンドさえ組めないんじゃないだろうかと思ってたら、意外とすぐバンドを組めて、ベースボーカルで、曲は他のメンバーといっしょに作ってるようだった。数年後、仕事を辞め、後を追うように上京した俺が指定された渋谷のライブハウスに行くと、ステージになぜかスウェーデンのサッカーの黄色いユニフォームを着て鎖をいっぱいつけたハーフパンツで金髪の山地が下っ腹にベースを乗せて歌っていた。衣装と肥満はダッセッと思ったが、はじめてステージで見る山地は輝いていた。中学生の頃ベランダにいる時から山地中心でずっと話が回っていたので、どこかずっとベランダの人間のスターだった。お世辞にも音楽の才能があるとは言えないが、そんなの関係なくもしかしたら何か起こすんじゃないかという魅力があった。“国境”と書いて“くに”と歌っていても死ねと思わなかった。
夜中に山地から「はあ..」とため息からはじまる電話がかかってくることが多くなった。貧困とバンド活動とおじいさんが死にそうだけど看取れないかもしれない。などのストレスで相当貯まってるようだった。普段そんなに電話をかけてこないので、この時期は相当しんどかったんだなと思う。ある日「松屋の豚めしでいいから奢ってくれ」とストレートに乞食の電話がかかってきたので、豚汁を付けてあげることも無くほんとに豚めしだけを奢ってあげた。「お前に奢られるとは..」と奢ってもらってるのに失礼なことを言っていた。しばらくすると、山地はバンドを解散し、夜中電話がかかってくることも無くなった。
山地は不動産屋で働き出した。金で見返してやると銭の戦争みたいなこと言っていた。ミュージシャンよりも才能があったのか、2、3年すると独立し、自分の会社をはじめて、前の職場で知り合った女性と結婚をした。結婚式に招待されたのだが、長い間スーツを着てなかったけどまあ大丈夫だろと袖を通すと想像より太っていて全く合わず、AOKIで1番安い19000円のスーツを買ったのに革靴も無かったことに気づいて、これ以上の出費はキツすぎるので家にあった靴で1番革靴に似てるエアジョーダンを履き、移動日のジョーダンで式に出席した。電話で「ジョーダンでいいかな..」と相談したら「(結婚式で)お前のことを誰も見てない」と答えた友達が、俺のズボンの裾をめくり、ジョーダンがボールを持って飛んでるマークを見て笑っていた。


今年の正月は俺は帰省をしたが山地はしなかったので、東京に戻ってから安い居酒屋で山地と山地の奥さんと俺と3人で新年会をした。山地の会社は別にそんなに儲かってないらしいが毎年大晦日は部屋風呂付きの温泉宿に泊まることにしてるぐらいの稼ぎはあるので、俺のコンビニの稼ぎに合わせて安いだけが売りの居酒屋にしてくれた気がする(嬉しくない)。山地は酔うと必ずする話が、中学生の時2人ともデブで体育の授業で1500m走の最後尾を走ってたら、山地の真後ろを走ってた俺が突然こけたので「大丈夫か?」と助けにいったら「お前足かけたやろ!」と俺にキレられた話だ。俺は薄らとしか覚えてない話なのだが、当時の自分を考えるとデブ2人が最後尾を走ってるのも恥ずかしいのにその上足がもつれてこけたのが恥ずかしくて罪を擦り付けたってことは十分ありえることなので、覚えてないが毎回謝ることにしてる。山地は記憶力がよく、昔嫌な思いをさせられた人間のことをずっと覚えていて「あいつは裏切った」「あいつはあれから信用できない」とずうっと忘れずめちゃくちゃしつこいので毎年酔うと必ず謝ることになる。終電が無くなりそうなのでもう帰ろうとすると「カラオケ行くぞ」とカラオケに連れてかれ、深夜2時を回り完全に終電が無くなったので、始発までネットカフェにいようと思ってると、山地がタクシーを止め、タクシー代1万円を渡された。普通はまず遠慮したり同級生にタクシー代渡された惨めさで怒ったりした方がいいと思うのだが(形だけでも)、なんかめちゃくちゃ感動してしまった。自分の想像する社長がそこにいて、それが友達なことにすごいと思った。あと、お釣りももらえるの?とも。「社長、ありがとうございます」とお礼を言うと「お前は豚めしを奢ってくれたからな..」と言われた。これも酔うと必ずする話だ。
休み時間にベランダにいると、遠くの方から自転車に乗って真正面からだんだん校舎に近づいてくる人が見えた。「あれ?たかのじいさんやろ」と周りに言われ、よく見ると、お客さんの家へ治療しに行く途中の鍼師をしてるうちのじいさんだった。じいさんは座頭市みたいに目がほとんど見えない按摩さんなので、自転車に乗れることもすごいがあんなドブ川の横走ってたら危ないなあと思って、どんどんこっちに近づいてくる様子を見てると、まっすぐ走ってた自転車がだんだんドブ川の方に近づいていき、横に止め、立ちションをはじめた(はっきりちんぽが見えた)。
中学生の頃休み時間はよくベランダに出ていた。それは別にベランダが好きだったわけではなく、教室にいるクラスの女子やゴリラの顔マネで誰かの背中を上から下に叩くことで主にウケてる宮迫みたいなクラスの人気者の男やダークシュナイダーのことと思ったら自分のエロい話をしてるヤンキーたちから感じる俺とは関係ない空気に耐えられず、ベランダのくせにほぼ不法投棄とドブ川しか見えない景色を無心で見ている人たちが集まったら、自然と気が合う人たちも集まったというだけでその中に山地(仮名)もいた。
山地は小学生からの友達で一人っ子ということもあってか親が厳しかった。昔はというかうちの地域だけかわからないが、学校の行事で自転車に乗るための自転車検定というのがあって、運動場に白線で引かれた道路の上を走らされ、そこでひとつでも交通違反をすれば自転車に乗れなくなり、小1の時、試験当日に初耳の手信号をやらされるASAYANみたいな謎のいじわるで全員不合格になり、ピカピカの自転車が没収されるということがあったので、自分の家から2キロぐらい離れた山地の家まで歩いて遊びに行ったら、「今掛け算してるから」と山地のおじいさんに簡単に帰らされ、網戸の向こうで机に向かいながら一礼だけする山地が見えた。
山地の家の食事は、親父が「おかわり」というと山地が茶碗を受け取り、ご飯をつぎに行かなきゃいけなくて、侍みたいな主従関係が親子の間であった。遊びに行ってもおじいさんや親父に会うのが恐ろしくて、玄関で「やーまーぢくん」と叫ぶかピンポン押すか迷ってたら、いつの間にか横に立ってた山地の親父に「ピンポン押せや」と言われて漏らしそうになったり、おじいさんに戦時中に橋の上で中国人をめちゃくちゃ斬った張飛みたいな話をされ、チャンと切ってコロっといくからチャンコロと言うんやと、最近調べたらそんな由来じゃなかったので、元を知らないのに小学生に不謹慎由来ギャグを言ってつっこませようとしてたことがわかり余計に怖くなった。
山地はデブで腕力もあったので、こんなに厳しく育てられてたら絶対ヤンキーになると思ってたのだが、庭に親父といっしょに作ったタイヤのサンドバックを毎日殴って拳を鍛える拉麺マンになっていった。当時まだKー1もやってなかったのにブランコ・シカティックの話をされ、部屋に堀辺正史の骨法の本が散乱してたり、高校の修学旅行で東京に行った時自由時間はグループ行動で同じグループだったのだが、強制的に御茶ノ水のブルースリー会館に行かされ、そこで大半を過ごし、新選組の着物が欲しいと浅草に行き、さすがにイライラしてきた俺が竹下通りに行きたいと残り時間わずかで原宿へ移動し、時間が無いので露店みたいなとこで見つけた缶コーヒーのBOSSのマークが印刷されたTシャツをかっこいいと思って(何で思ったのかわからない)買い、集合場所に集まると、みんな原宿や渋谷で買った服やスニーカーを持って集まってるのに、うちのグループだけトンファーとよく見たらBOSSじゃなくてBOSEと書かれたキャラクターの頭がハゲてる全然面白くないTシャツを持って集まっていて、彼女なんてできるわけないと思った。
高校生になった山地は朝5時ぐらいになると毎日俺の家まで迎えに来るようになった。土手で組手をさせられるからだ。少し離れたところにある土手まで走り、組手というか、いろんな技の実験台にされていた。不思議なもので毎日いろんな蹴りを受け止めてると受けるのが上手くなり、あまり痛くなくなってきた。ある日山地が「蹴りを受けながらも攻撃する方法がある」と言い、蹴りを受け止める時ファイティングポーズの片腕をもうひとつの手で押さえた形でガードするのだが、当たる瞬間に肘を少し上にあげると足が砕けると教えられ、3秒後山地の足が砕けていた。悲鳴をあげながらのたうち回る山地を見ながら、ほんとに防御だけで足を砕けたことに感動した。帰り道は歩けてたので骨折はしてなかったと思うが、足を引きずり気味だったので心配したのだが本人が大丈夫というのでそういうことにした。次の日から迎えに来なくなった。
高校生の山地が突然ミュージシャンになると言い出した。普段遊びに行っても、CDなんて親父やおじいさんと共有の村下孝蔵とテレサテンと誰かから借りパクした愛しさとせつなさと心強さとしか見たことなかったのに、何があったんだと思ったらXにはまったらしい。しばらくすると、どこかから手に入れたフォークギターで曲を作るようになった。できたので聞いてくれと、曲を録音したテープと歌詞が書かれたノートの切れ端を渡され、家に帰って歌詞を見ると「はじめて君とトマト畑で出会った」と書いてあり、オヨネーズかと思ったが聞いてみると、曲調はギターなのになぜかオルゴールバージョンに聞こえて農家の恋愛ではなく普通の若者の初恋だった。もう1曲はタイトルのところにバーニングラブと書いてあり、サビのはじめに「バーニ ラブ」(バーニングをバーニと言うのはやめてくれ)と叫んだあと、「どうしてわかってくれない~」と作った曲の音の高さに自分の力が追いつかず声がどんどん出なくなって後半ギターの音しか聞こえなくなり、ここ最近で1番笑うことができた。
山地は東京の大学に進学することになり、それと共にプロになるためにバンド活動もはじめていた。この曲引っさげて東京へ殴り込みに行く度胸は買うが、友達の俺だから笑うのであって(それも不本意だろうが)、東京の人に聞かせたらバンドさえ組めないんじゃないだろうかと思ってたら、意外とすぐバンドを組めて、ベースボーカルで、曲は他のメンバーといっしょに作ってるようだった。数年後、仕事を辞め、後を追うように上京した俺が指定された渋谷のライブハウスに行くと、ステージになぜかスウェーデンのサッカーの黄色いユニフォームを着て鎖をいっぱいつけたハーフパンツで金髪の山地が下っ腹にベースを乗せて歌っていた。衣装と肥満はダッセッと思ったが、はじめてステージで見る山地は輝いていた。中学生の頃ベランダにいる時から山地中心でずっと話が回っていたので、どこかずっとベランダの人間のスターだった。お世辞にも音楽の才能があるとは言えないが、そんなの関係なくもしかしたら何か起こすんじゃないかという魅力があった。“国境”と書いて“くに”と歌っていても死ねと思わなかった。
夜中に山地から「はあ..」とため息からはじまる電話がかかってくることが多くなった。貧困とバンド活動とおじいさんが死にそうだけど看取れないかもしれない。などのストレスで相当貯まってるようだった。普段そんなに電話をかけてこないので、この時期は相当しんどかったんだなと思う。ある日「松屋の豚めしでいいから奢ってくれ」とストレートに乞食の電話がかかってきたので、豚汁を付けてあげることも無くほんとに豚めしだけを奢ってあげた。「お前に奢られるとは..」と奢ってもらってるのに失礼なことを言っていた。しばらくすると、山地はバンドを解散し、夜中電話がかかってくることも無くなった。
山地は不動産屋で働き出した。金で見返してやると銭の戦争みたいなこと言っていた。ミュージシャンよりも才能があったのか、2、3年すると独立し、自分の会社をはじめて、前の職場で知り合った女性と結婚をした。結婚式に招待されたのだが、長い間スーツを着てなかったけどまあ大丈夫だろと袖を通すと想像より太っていて全く合わず、AOKIで1番安い19000円のスーツを買ったのに革靴も無かったことに気づいて、これ以上の出費はキツすぎるので家にあった靴で1番革靴に似てるエアジョーダンを履き、移動日のジョーダンで式に出席した。電話で「ジョーダンでいいかな..」と相談したら「(結婚式で)お前のことを誰も見てない」と答えた友達が、俺のズボンの裾をめくり、ジョーダンがボールを持って飛んでるマークを見て笑っていた。


今年の正月は俺は帰省をしたが山地はしなかったので、東京に戻ってから安い居酒屋で山地と山地の奥さんと俺と3人で新年会をした。山地の会社は別にそんなに儲かってないらしいが毎年大晦日は部屋風呂付きの温泉宿に泊まることにしてるぐらいの稼ぎはあるので、俺のコンビニの稼ぎに合わせて安いだけが売りの居酒屋にしてくれた気がする(嬉しくない)。山地は酔うと必ずする話が、中学生の時2人ともデブで体育の授業で1500m走の最後尾を走ってたら、山地の真後ろを走ってた俺が突然こけたので「大丈夫か?」と助けにいったら「お前足かけたやろ!」と俺にキレられた話だ。俺は薄らとしか覚えてない話なのだが、当時の自分を考えるとデブ2人が最後尾を走ってるのも恥ずかしいのにその上足がもつれてこけたのが恥ずかしくて罪を擦り付けたってことは十分ありえることなので、覚えてないが毎回謝ることにしてる。山地は記憶力がよく、昔嫌な思いをさせられた人間のことをずっと覚えていて「あいつは裏切った」「あいつはあれから信用できない」とずうっと忘れずめちゃくちゃしつこいので毎年酔うと必ず謝ることになる。終電が無くなりそうなのでもう帰ろうとすると「カラオケ行くぞ」とカラオケに連れてかれ、深夜2時を回り完全に終電が無くなったので、始発までネットカフェにいようと思ってると、山地がタクシーを止め、タクシー代1万円を渡された。普通はまず遠慮したり同級生にタクシー代渡された惨めさで怒ったりした方がいいと思うのだが(形だけでも)、なんかめちゃくちゃ感動してしまった。自分の想像する社長がそこにいて、それが友達なことにすごいと思った。あと、お釣りももらえるの?とも。「社長、ありがとうございます」とお礼を言うと「お前は豚めしを奢ってくれたからな..」と言われた。これも酔うと必ずする話だ。
休み時間にベランダにいると、遠くの方から自転車に乗って真正面からだんだん校舎に近づいてくる人が見えた。「あれ?たかのじいさんやろ」と周りに言われ、よく見ると、お客さんの家へ治療しに行く途中の鍼師をしてるうちのじいさんだった。じいさんは座頭市みたいに目がほとんど見えない按摩さんなので、自転車に乗れることもすごいがあんなドブ川の横走ってたら危ないなあと思って、どんどんこっちに近づいてくる様子を見てると、まっすぐ走ってた自転車がだんだんドブ川の方に近づいていき、横に止め、立ちションをはじめた(はっきりちんぽが見えた)。
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