流れ星
歩道を歩いていると、前から自転車がこっちに向かって来ている。
道は狭く、このままだと自転車が停まって私が通りすぎるのを待つか、私が横にずれて自転車が通りすぎるのを待つか、正面衝突してお互い液状に弾け、小さい赤い十字架が2個浮かぶことになる。
こういう時はいつもミスチルの笑顔で横に避けてあげるのだが、自転車が当たり前の無表情で通り過ぎると、一気にぶっ殺すぞこの野郎元々歩道だからなと怒ってしまう。このわずか数秒の間にまったく真逆の感情が上下に揺れる。1人の人間がボランティアから人殺しまでできる可能性がある。たんに私が短気なだけでありませんように。この複雑さが人間で人間に何キャラとかない。空の快晴は喜びなのか、怒りなのか。最近ガソリンスタンドめっちゃ閉店してるな。コロナで社会がさらに貧乏になって、失敗しにくいものを作ることが余計に増えるんだろうな、傘差し運転してるおじいさんと自転車に乗った警察官がお互い並走しながら口喧嘩をしていて三国志みたいだった、松屋の牛めしのアタマ大盛りって少なくないか、最近お風呂に入ってもすぐ金玉周りが臭くなってる気がする、気のせいだといいが…、プラチナソードはもういいです、ちからのたねをくださいな、最近ダイエットで散歩をよくしているのだが、余計なことをたくさん考えられてとても楽しい。たまに鬱回もあって、そういう時はハンバーグを食べておいちとすぐ布団に入ることにしている
2本目のワクチンを打ち終わった。
BMI30以上の太ったおじさんなので、わりと早めに予約受付がはじまった。自分が住んでる区の数ヶ所ある集団接種会場をネット予約しようとしたら、開始すぐファイザーの会場が乃木坂ライブ一般発売のスピードで埋まっていった。乃木坂ライブはチケットを取れなくても配信で見れる場合があるが、集団接種会場は配信がないし、配信されても接種後のアフタートーク付きチケットを買ってイントロクイズコーナーのあともう1本打ち上げみたいな雰囲気の注射を見てる場合でもないし、実際に打たないと意味がないので、ファイザーよりも悪い情報をよく見かけるせいかまだ埋まりが遅かったモデルナの会場を予約した。
当日雨が降っていたので傘を差して、歩いて15分の距離にある公民館みたいな会場に向かうと、入り口に立っていたスタッフの男性が透明ビニールの傘袋の口をお母さんが子供に靴下を履かせる時みたいに広げて待っていた。どうぞ入れてくださいと私の傘が傘袋に入れやすいように口を広げてくれているのだが、そこまでしなくていいのよと思った。私は幼児でもドンペリ入れるわけでもないのに、申し訳ない気持ちになりながら中に入ると、流れるようなスタッフの誘導でいつのまにか白衣を着たおじいさんの前で座っていて、普通に太っていることを叱られた。
叱られる想像をしていなかったので驚いたが、BMI30以上で来てるので叱られてもしょうがないし、叱る時間も用意してくれているんだと思った。「デザートも果物も好きでしょ?朝なら食べていいから」「炭水化物を夜食べないように」と多少のデブへの偏見ともう知ってるよというマル得情報を教わり、スッと注射をされ、経過を見るため15分待機したあと会場から出ると、すぐふわっとお線香の臭いがして笑った。周りの家のどこかで焚いていたのだろう。流れるような誘導の中でお線香の臭いがしたので、流れが良すぎてハッピーエンドを通り抜けてバッドエンドになったのかと思った。優秀な現場のスタッフが、毎日流れてくる嫌なニュースの中にも存在していて、たくさんクズの尻拭いをしているのだろう。副作用は少し気だるさがあったぐらいで高熱が出ることもなく終わった。ありがとうございました。
ちょうどお盆の時期だったが、ワクチンを2本打っても今年も帰省はしなかった。
母親が死んでから1度も帰っていない。コロナだからというのもあるが、帰省していた理由のほとんどが母親だったので帰る気力が無くなってしまった。今年の4月に好きな家族ランキング2位だったおばあさんも死んでしまったので、数年前に死んだ同率2位のおじいさんも入れると、上位3人が全員いなくなったのもでかい。4位の姉には実家のことを任せすぎてるのに申し訳ない気持ちもあるが、あと残っているのがランキング圏外の兄貴と父親ではなかなか腰が重くなるし、やっぱり今無理して帰る理由がないなら動かなくていい。ランキングうんぬんではないのだ。なんだ好きな家族のランキングって。圏外じゃなくて最下位でいいだろとかまあいろいろありますが、今年デパートで母の日のポップを見た時母親死んだなあーとなった。母親の葬式のあと何か形見が欲しいと思って、持って帰ってきた靴下をひさしぶりに引き出しから出して、少し眺めて戻した。黙って持って帰ってきたので家族も誰も知らない。靴下が夜空じゃんと思ってこれにした。靴下の星が流れ星になって願うぐらいのことが起きないともうまったくコロナが収まる気配はないが、ハンバーグを食べて散歩をして、母親よりは長生きしたい。

道は狭く、このままだと自転車が停まって私が通りすぎるのを待つか、私が横にずれて自転車が通りすぎるのを待つか、正面衝突してお互い液状に弾け、小さい赤い十字架が2個浮かぶことになる。
こういう時はいつもミスチルの笑顔で横に避けてあげるのだが、自転車が当たり前の無表情で通り過ぎると、一気にぶっ殺すぞこの野郎元々歩道だからなと怒ってしまう。このわずか数秒の間にまったく真逆の感情が上下に揺れる。1人の人間がボランティアから人殺しまでできる可能性がある。たんに私が短気なだけでありませんように。この複雑さが人間で人間に何キャラとかない。空の快晴は喜びなのか、怒りなのか。最近ガソリンスタンドめっちゃ閉店してるな。コロナで社会がさらに貧乏になって、失敗しにくいものを作ることが余計に増えるんだろうな、傘差し運転してるおじいさんと自転車に乗った警察官がお互い並走しながら口喧嘩をしていて三国志みたいだった、松屋の牛めしのアタマ大盛りって少なくないか、最近お風呂に入ってもすぐ金玉周りが臭くなってる気がする、気のせいだといいが…、プラチナソードはもういいです、ちからのたねをくださいな、最近ダイエットで散歩をよくしているのだが、余計なことをたくさん考えられてとても楽しい。たまに鬱回もあって、そういう時はハンバーグを食べておいちとすぐ布団に入ることにしている
2本目のワクチンを打ち終わった。
BMI30以上の太ったおじさんなので、わりと早めに予約受付がはじまった。自分が住んでる区の数ヶ所ある集団接種会場をネット予約しようとしたら、開始すぐファイザーの会場が乃木坂ライブ一般発売のスピードで埋まっていった。乃木坂ライブはチケットを取れなくても配信で見れる場合があるが、集団接種会場は配信がないし、配信されても接種後のアフタートーク付きチケットを買ってイントロクイズコーナーのあともう1本打ち上げみたいな雰囲気の注射を見てる場合でもないし、実際に打たないと意味がないので、ファイザーよりも悪い情報をよく見かけるせいかまだ埋まりが遅かったモデルナの会場を予約した。
当日雨が降っていたので傘を差して、歩いて15分の距離にある公民館みたいな会場に向かうと、入り口に立っていたスタッフの男性が透明ビニールの傘袋の口をお母さんが子供に靴下を履かせる時みたいに広げて待っていた。どうぞ入れてくださいと私の傘が傘袋に入れやすいように口を広げてくれているのだが、そこまでしなくていいのよと思った。私は幼児でもドンペリ入れるわけでもないのに、申し訳ない気持ちになりながら中に入ると、流れるようなスタッフの誘導でいつのまにか白衣を着たおじいさんの前で座っていて、普通に太っていることを叱られた。
叱られる想像をしていなかったので驚いたが、BMI30以上で来てるので叱られてもしょうがないし、叱る時間も用意してくれているんだと思った。「デザートも果物も好きでしょ?朝なら食べていいから」「炭水化物を夜食べないように」と多少のデブへの偏見ともう知ってるよというマル得情報を教わり、スッと注射をされ、経過を見るため15分待機したあと会場から出ると、すぐふわっとお線香の臭いがして笑った。周りの家のどこかで焚いていたのだろう。流れるような誘導の中でお線香の臭いがしたので、流れが良すぎてハッピーエンドを通り抜けてバッドエンドになったのかと思った。優秀な現場のスタッフが、毎日流れてくる嫌なニュースの中にも存在していて、たくさんクズの尻拭いをしているのだろう。副作用は少し気だるさがあったぐらいで高熱が出ることもなく終わった。ありがとうございました。
ちょうどお盆の時期だったが、ワクチンを2本打っても今年も帰省はしなかった。
母親が死んでから1度も帰っていない。コロナだからというのもあるが、帰省していた理由のほとんどが母親だったので帰る気力が無くなってしまった。今年の4月に好きな家族ランキング2位だったおばあさんも死んでしまったので、数年前に死んだ同率2位のおじいさんも入れると、上位3人が全員いなくなったのもでかい。4位の姉には実家のことを任せすぎてるのに申し訳ない気持ちもあるが、あと残っているのがランキング圏外の兄貴と父親ではなかなか腰が重くなるし、やっぱり今無理して帰る理由がないなら動かなくていい。ランキングうんぬんではないのだ。なんだ好きな家族のランキングって。圏外じゃなくて最下位でいいだろとかまあいろいろありますが、今年デパートで母の日のポップを見た時母親死んだなあーとなった。母親の葬式のあと何か形見が欲しいと思って、持って帰ってきた靴下をひさしぶりに引き出しから出して、少し眺めて戻した。黙って持って帰ってきたので家族も誰も知らない。靴下が夜空じゃんと思ってこれにした。靴下の星が流れ星になって願うぐらいのことが起きないともうまったくコロナが収まる気配はないが、ハンバーグを食べて散歩をして、母親よりは長生きしたい。

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ピノ

3DSのソフトでファミスタクライマックス2017という野球ゲームがあるのだが、2018年ごろに買ってから2021年現在まで毎日ずっとやっている。
2019年から漫画の連載を1年やっていたのだが、その間もトイレでうんこをしてる時だけファミスタクライマックス2017をやっていいルールにしていた。うんこをしてる時の1試合だけなのが罪悪感を感じず、息抜きになっていたのだが、いつのまにかどんどんトイレにいる時間が長くなり、1試合が3試合、3試合が9試合になり、落ち着いてゲームをやりたくてスタート画面が立ち上がる前にうんこを出し終わっていた。もうこうなると、椅子が便座、肛門がうんこのついた肛門に変わっただけなので、普通に部屋でやれよと自分でも思うのだが、誰に見張られてるわけでもないのにトイレだけの息抜きという名目の中にいるのが心地よく、最近のプロ野球選手はあまりわからないので能力値(F~Sまである)だけで選んだ血が通ってない監督としてペナントレースを何十週もしていた。
トイレが長くなると下半身丸出しの状態も長くなるので体がめちゃくちゃ冷えた。男性のほとんどがエロ動画を探してる間に風邪をひくと聞くが、オリジナルのもう一つの事例を作ってしまった。トイレでファミスタクライマックス2017をやりすぎたため休載になるわけにもいかないなとそこはギリギリあったプロ意識で試合数を減らし、早く作業に戻るようになった。
なんでファミスタクライマックス2017だけをこんなにやってるの?と聞かれても正直よくわからない。完全に飽きている。もうコンピューターの強さを最大にしてもコールドゲームになるので、バッティングセンターでホームランを狙う遊びをしてる感じに近いかもしれないが、それにしたって何でずっとやってんだと自分でも思う。ただ1シーズン終わると、同じメンバーをもう使わないというルールにしているので、だんだん能力値が低いバランスの悪い選手の集まりになってきて、少し工夫しないとコールド勝ちできなくなったのが張り合いになっている。パワーはSランクだけど足は激遅の選手だったり、足は速いけど打撃がどうしようもなかったり、張り合いにはなっているが、普通にイライラするので息抜きになっているのかは怪しい。ピノという、足はSとめちゃくちゃ速いが打撃能力がCとかDでバットに当たってもフライになったり、緩いゴロでアウトになる打てない選手がいるのだが、足がここまで飛び抜けて速いとファミスタクライマックス2017の世界ではバントで転がせば、内野安打量産できるのでチームに入れたら、バントがEでなんでだよとなった。ピノ、お前がこの世界で生きていくには、バントを磨くしかないだろ。何をバットに重り付けて練習してるんだ。打撃は捨てて、バントだけ練習しろ。せめてDかCにはできるだろ鼻も長いし手もどうなってんだ。鼻は関係ないでしょと飛び掛かってきたピノ。ピノの帽子からわずかに出た前髪を掴む私、喧嘩を止めに来た水野雄仁をビンタしてその日は終わったのだが、あとで考えたらそうだよなホームランを打ちたいよなピノ、足が生まれつき速かろうが打つセンスが無かろうがホームラン打ちたいならホームランを打ちにいく練習をするんだよなピノと、極寒のトイレの中でパンツを上げ机に戻った。
商店街
上京して15年ぐらい同じアパートに住んでいる。人混みや派手なネオンが無く、東京のわりには静かで家賃も安めの場所だ。商店街も「この店主ずっとおじいさんだな」と人生のおじいさんの期間が長いことを教えてくれる店が多い。たまに新店ができるが、静かな町なのでほとんどの店がつぶれてしまう。
コロナが流行る前の話だが、商店街をブラブラしてたら見たことあるおじいさんが弁当屋で店員さんに絡んでいた。店員さんが中国の方なので日本語がうまく伝わらずキレてるようだった。この声覚えている。昔バイトしてたコンビニのクレーマーだ。
そのじじいは(当然ここからじじいと呼びます)あらゆることに因縁をつけてくる常連のクレーマーで、全店員からレジに来るまでに奇跡的に死んでくれと願われていた。目があう「何見てんだ」通路であう「邪魔だ」全部自分からあわせにきて、じじいになるまで留年してるヤンキーみたいだった。
少し前にコンビニ店員が絡んできたお客さんをぶん殴ったニュースがあって、それに対して接客業向いてないよってコメントしてる人を見たのだが、この世に接客業に向いてる人間はいないし、人の悪意は無限大を実際に体験してきたので、店員に何言っても殺されることは無いと思ってるお客さんがいるけど、その店員の人生のタイミングとバッチリ合えば十分可能性があるのでお互い気を付けた方がいいと思った。ほとんどの店員はクレーマーに何を言われても「辞めたらぶっ殺してやる」と辞めてもぶっ殺していい世界に行けるわけでもないのに、退職してたまたま再会した路上の電柱で額を砕き、ねこじゃらしで首を絞め、証明写真機に座らせて立ち去る妄想をして、えへへとやり過ごすものだ。その妄想がちゃんと叶えられる状況になったのはコンビニ店員を辞めてはじめてだった。
このじじいのことで1番思い出すのが、バフマシーンという機械で床をピカピカにする作業をしていた時のことだ。最近の店は元からピカピカに加工してある床が多いので見かけなくなったと思うが、昔はよく見た店員がゆっくり動かすあれだ。その日はオーナーと私の二人夜勤でただでさえ気が抜けない中仕事をしていたのに、ちょうどバフをかけだした嫌なタイミングでじじいが現れた。マシーンをゆっくり動かしていく進行方向にずっとじじいがいる。左に曲がれば七味唐辛子を見つめたじじい、右に曲がれば袋麺が割れていないか確かめるじじいが現れ、できるだけ離れて横を通ってもバックステップしてきたじじいに「おっと、あぶねえ」、角から急に現れたじじいに「邪魔だ」と怒鳴られ、なんだこのクソゲーどうやってクリアするんだとイライラしながら進め、バフマシーンにツーコンマイクが付いていたら試しに叫んでいるところだった。ほんとはじじいが帰るまでいったん中止にしたいが、納品が来る前に終わらせないと時間がなくなるからやるしかない。なんとかゴール付近の雑誌コーナー前まで来たのだが、通路を塞ぐように立ち読みをしているじじいがいて通れない。「あの、通りたいので少し横にずれてくれませんか?」とたずねても、チラッとこっちを見て「今読んでるだろ」と言われ却下されたので、むかつきすぎて「いや、どけよ」と口から出ていた。今まで反撃したことがなかったので驚いたのか、じじいがオーナーの元へ行き、なんだあの店員教育がなってないぞ的なことを言ってる間に、雑誌コーナーをピカピカにしてこのクソゲーをクリアできた。普通にどかせばよかったのだ。それから、そのじじいは私がいる深夜の時間では見なくなった。
ひさしぶりに見たじじいは元々痩せ型だった体がさらに萎んでいて、弁当屋の中国人女性がスーッと逃げていくのをしつこく追いかけていく足取りもどこか悪いのかフラフラしていた。あんなにぶっ殺したかったじじいに特に何の怒りもない。それどころか、なぜか他人事じゃないように感じた。店の入り口付近でずっと見つめていたのだが、こちらに気づいたじじいは店員さんによく聞こえない捨てゼリフを吐きながら店を出て行った。今はこの弁当屋さんもつぶれて無くなっている。
商店街の中にできてすぐ閉店した店の人たちが、今は何をしているのだろうかとふと頭をよぎることがある。だいたい自分の気分が落ちている時だ。そんな時によぎることなので、あまり良いことを想像できない。でも、名前も忘れた弁当屋のあの竜田揚げがうまかったことは覚えていて、その自分が覚えていることに自分が救われた気持ちになる。それはすばらしいことでは無いだろうか。と思いたい。
近所の雀荘の前を歩いてたら、そこから出てきたおじさんに「○○のコンビニにいた人だね」と声をかけられたことがあった。この人もあのコンビニの常連客のおじさんだ。クレーマーではなく普通のお客さん。「ああ、どうも」と少し会話をしてたら「普段は優しい顔をしてるね」と言われた。お互い様だったのかもしれない。
コロナが流行る前の話だが、商店街をブラブラしてたら見たことあるおじいさんが弁当屋で店員さんに絡んでいた。店員さんが中国の方なので日本語がうまく伝わらずキレてるようだった。この声覚えている。昔バイトしてたコンビニのクレーマーだ。
そのじじいは(当然ここからじじいと呼びます)あらゆることに因縁をつけてくる常連のクレーマーで、全店員からレジに来るまでに奇跡的に死んでくれと願われていた。目があう「何見てんだ」通路であう「邪魔だ」全部自分からあわせにきて、じじいになるまで留年してるヤンキーみたいだった。
少し前にコンビニ店員が絡んできたお客さんをぶん殴ったニュースがあって、それに対して接客業向いてないよってコメントしてる人を見たのだが、この世に接客業に向いてる人間はいないし、人の悪意は無限大を実際に体験してきたので、店員に何言っても殺されることは無いと思ってるお客さんがいるけど、その店員の人生のタイミングとバッチリ合えば十分可能性があるのでお互い気を付けた方がいいと思った。ほとんどの店員はクレーマーに何を言われても「辞めたらぶっ殺してやる」と辞めてもぶっ殺していい世界に行けるわけでもないのに、退職してたまたま再会した路上の電柱で額を砕き、ねこじゃらしで首を絞め、証明写真機に座らせて立ち去る妄想をして、えへへとやり過ごすものだ。その妄想がちゃんと叶えられる状況になったのはコンビニ店員を辞めてはじめてだった。
このじじいのことで1番思い出すのが、バフマシーンという機械で床をピカピカにする作業をしていた時のことだ。最近の店は元からピカピカに加工してある床が多いので見かけなくなったと思うが、昔はよく見た店員がゆっくり動かすあれだ。その日はオーナーと私の二人夜勤でただでさえ気が抜けない中仕事をしていたのに、ちょうどバフをかけだした嫌なタイミングでじじいが現れた。マシーンをゆっくり動かしていく進行方向にずっとじじいがいる。左に曲がれば七味唐辛子を見つめたじじい、右に曲がれば袋麺が割れていないか確かめるじじいが現れ、できるだけ離れて横を通ってもバックステップしてきたじじいに「おっと、あぶねえ」、角から急に現れたじじいに「邪魔だ」と怒鳴られ、なんだこのクソゲーどうやってクリアするんだとイライラしながら進め、バフマシーンにツーコンマイクが付いていたら試しに叫んでいるところだった。ほんとはじじいが帰るまでいったん中止にしたいが、納品が来る前に終わらせないと時間がなくなるからやるしかない。なんとかゴール付近の雑誌コーナー前まで来たのだが、通路を塞ぐように立ち読みをしているじじいがいて通れない。「あの、通りたいので少し横にずれてくれませんか?」とたずねても、チラッとこっちを見て「今読んでるだろ」と言われ却下されたので、むかつきすぎて「いや、どけよ」と口から出ていた。今まで反撃したことがなかったので驚いたのか、じじいがオーナーの元へ行き、なんだあの店員教育がなってないぞ的なことを言ってる間に、雑誌コーナーをピカピカにしてこのクソゲーをクリアできた。普通にどかせばよかったのだ。それから、そのじじいは私がいる深夜の時間では見なくなった。
ひさしぶりに見たじじいは元々痩せ型だった体がさらに萎んでいて、弁当屋の中国人女性がスーッと逃げていくのをしつこく追いかけていく足取りもどこか悪いのかフラフラしていた。あんなにぶっ殺したかったじじいに特に何の怒りもない。それどころか、なぜか他人事じゃないように感じた。店の入り口付近でずっと見つめていたのだが、こちらに気づいたじじいは店員さんによく聞こえない捨てゼリフを吐きながら店を出て行った。今はこの弁当屋さんもつぶれて無くなっている。
商店街の中にできてすぐ閉店した店の人たちが、今は何をしているのだろうかとふと頭をよぎることがある。だいたい自分の気分が落ちている時だ。そんな時によぎることなので、あまり良いことを想像できない。でも、名前も忘れた弁当屋のあの竜田揚げがうまかったことは覚えていて、その自分が覚えていることに自分が救われた気持ちになる。それはすばらしいことでは無いだろうか。と思いたい。
近所の雀荘の前を歩いてたら、そこから出てきたおじさんに「○○のコンビニにいた人だね」と声をかけられたことがあった。この人もあのコンビニの常連客のおじさんだ。クレーマーではなく普通のお客さん。「ああ、どうも」と少し会話をしてたら「普段は優しい顔をしてるね」と言われた。お互い様だったのかもしれない。
母の日
朝の9時に姉からメールが来た。“母親の意識が無くなって救急車を呼んだ。まだどこへ運ばれるかわからん”
母親は20年前ぐらいにはじめて脳出血して左半身が麻痺してから現在まで、何度か脳出血を繰り返し、だんだん喉がうまく使えなくなっていた。いろんな色のサーティーワンが溶けた後みたいな飯しか食べれなくなったり、喋りが聞き取りにくくなったりしたが、風呂上がりに全裸で近づき、近くで急に屁をすると、狂ったように笑っていたので脳の下ネタに反応する下頭葉のハードルは下がりきっていたが頭はしっかりしていた。
数時間後また姉からメールがきた。“今、病院から帰ってきた。母親はICUにいる。重症小脳出血で出血範囲が広いので、手術できない。自発呼吸がほとんどできないので、酸素吸入して延命している。いつまでもつかわからない。今日にもヤバい。面会したが、目が開けられんし、話しかけても反応はほとんどない。”
20年前にはじめて脳出血した時に、母親がICUでピトーを倒したあとのゴンみたいになってた姿を見た衝撃が強烈で、医者にも「覚悟しておいてください」と言われていたため、その時から現在までずっと覚悟ができていた。あーとうとう来たかという感じだ。そういえば、今日は母の日だ。
次の日の朝9時にまた姉からメールが届いた。“9時40分死亡”。
お通夜、葬儀に出るためにひさしぶりに来た羽田空港はコロナの影響で数本しか便がないためガラガラだった。今年はろくなことがない。フライトの間選べる無料の飲み物もパックのお茶しか選択肢がない。いつもりんごジュースを飲んでたのに..(涙)と小さすぎる不幸まで噛みしめながら藍染と投石の街徳島に着いた。県知事が藍染のマスクをして投石すなと会見をしていた。空港の出口を出て、石が飛んできたら、屁で空を飛び、鼻くそを落とし、小便でカタパルトを腐らせて応戦しようと思っていたが、迎えに来た姉しかいなかった。
お通夜は私服でいいと言われたので、サルエルパンツと赤いスニーカーのそれにしてものコーディネートで向かった。家族葬なので俺、姉、兄、父親、母親の妹、その旦那さん。の6人しかいない。気楽で助かる。これから、遺体が来て、体を洗ってから白装束に着替えさせ、化粧をし、棺に入れるようだ。しばらくすると、シートに巻かれた母親の遺体がやってきた。はじめて顔を見たが、ちょっとみかんを食べ過ぎたぐらいの顔色で、ただ寝ているように見えた。生きてる間に最後に会ったのは今年の正月。漫画家になったことを伝えるとちゃんと理解したのかはわからないが「すごいな」と言っていた。
引きこもりでニートの兄は死んだおじいさんの遺品のスーツを着て葬儀場に来ているが、現実を受け止めたくないのか祭壇のある畳の部屋に上がって来ず、ふすまを開けて一段降りたところの場所でずっと鼻をすする音と舌打ちを響かせながら行ったり来たりウロウロしていた。時々癖のげっぷも飛び出し、そのたび葬儀屋の人たちが見つめていた。
明日の葬儀はさすがに喪服を着た方がいいのだが、最近コロナで元々少なかった運動がさらに減り、めちゃくちゃ太ったのでレンタルできる喪服の中に合うサイズが無く、葬儀屋の方が他の葬儀場も探してくれるようだが、もし無かったら買いたくないのでこのまま私服で出るか、偶然通りかかった野次馬として遠くから私服で参加しようと思っていた。これが合わないと終わりですと持ってきてくれた喪服がなんとか合った。ありがとうございます。
お通夜の儀式が終わると、誰か1人このまま葬儀場に泊まって、朝まで遺体の前にある線香を絶やさないようにしないといけないらしい。なぜか俺が指名された。なんでやと思いながらも、まあ父親と姉は入院からここまで疲れてるし、兄はああだし、まあ俺かあと泊まることにした。
遺体が置いてある畳の部屋は、遺体が置いてある以外は旅館だった。ふわふわの布団、お風呂、歯ブラシ、冷蔵庫。蚊取り線香のようにぐるぐる巻きの形の線香から煙が出ている。これを4時間後の24時に1度変えれば朝までもつらしい。棺の小窓は開いたままになっているので、いつでも顔が見える。化粧をされてさっきよりもさらにただ寝てるだけのように見えた。この顔も明日には焼かれて見れなくなると思うと、急にずっと訪れてなかった悲しい感情が湧き出てきた。人前にいると家族であろうが泣くことがない。我慢するというよりそういう感情にならない。ひいたところから眺めてしまう。たぶん今日泊まって1人になってなければ、ずっと工場見学の工程を見るように「ほー、なるほど。ふむふむ」と泣くこと無く、火葬場で骨を眺めていただろう。死んだら何もわからないだろと冷めた気持ちもあるが、まるで寝てるような顔を見てると、何も答えないが聞いてるような気はしてくる。念のためシャワーを浴びたあと、全裸で近づき、屁もしておいた。
毎日香じゃない独特な線香の臭いの中で食事をする気になれないが、今日はまだ何も食べてなかったのでコンビニで買って冷蔵庫に入れてあった冷やしとろろそばを取り出し、食べようとすると麺がシャリシャリに凍っていた。冷蔵に入れてたのに信じられない強さで凍っている。どこの葬儀場の冷蔵庫もそうなの??遺体とか冷やすことに意識が高いから??と、自然解凍するまでしばらく待ったあとすするとかき氷みたいな歯の染み方をした。
次の日の昼、棺の蓋を閉じる前に家族で花束や一緒に焼いてもらう物を入れた。姉はなぜかパジャマを2着入れていた。俺はどうせ読めないしとまだ渡してなかった自分の単行本一巻と二巻を入れた。漫画家になってることを知らない父親や兄は不思議そうな顔で見ていたが視線を無視して胸元に並べた。お坊さんが戒名をつけたので、戒名の説明をしてくれたが、病気を何度も堪え忍んだことを表す名前で、そんなのつけるなよ下手かよと思った。父親からどんな人生だったかのデータを聞いたと思うから、伝えたほうの問題もある気がするが、そんな母親の人生の後半の一部分のしんどいところを死んだあとも名前にすな。舟木一夫とホールケーキが好きだったから舟木円柱(ふなきえんばしら)とかにしろよと今日鬼滅の刃の新刊が出てたことも思い出した。
葬儀場から焼き場へ。喪主の父親と遺影を持った姉は霊柩車で、他は葬儀場のマイクロバスで移動した。焼き釜に入れたあと1時間半後再び焼き釜の前に呼ばれると、母親が灰と骨だけになっていた。自分で想像してたように「ほー、ゆでたまごの殻みたいですな」と眺めていたが、兄は嗚咽を漏らしていた。
帰省するたび母親に聞かされる俺が子供の頃のかわいいエピソードがあって、怖い夢を見たのか隣で寝てた母親に「手つないでいい?」とお願いしたことと、人参が嫌いだがうさぎちゃんと呼ばれるとあーんとしていたこと。今も母親の夢に出てくる俺は園児らしい。俺をどうしたいんだ。といつも思っていた。死んだ先の世界があるかどうか知らないが、見守るとかしなくていいし、なんなら俺や家族を忘れてほしい。自分の好きなことだけしてすごしてくれと願った。
母親は20年前ぐらいにはじめて脳出血して左半身が麻痺してから現在まで、何度か脳出血を繰り返し、だんだん喉がうまく使えなくなっていた。いろんな色のサーティーワンが溶けた後みたいな飯しか食べれなくなったり、喋りが聞き取りにくくなったりしたが、風呂上がりに全裸で近づき、近くで急に屁をすると、狂ったように笑っていたので脳の下ネタに反応する下頭葉のハードルは下がりきっていたが頭はしっかりしていた。
数時間後また姉からメールがきた。“今、病院から帰ってきた。母親はICUにいる。重症小脳出血で出血範囲が広いので、手術できない。自発呼吸がほとんどできないので、酸素吸入して延命している。いつまでもつかわからない。今日にもヤバい。面会したが、目が開けられんし、話しかけても反応はほとんどない。”
20年前にはじめて脳出血した時に、母親がICUでピトーを倒したあとのゴンみたいになってた姿を見た衝撃が強烈で、医者にも「覚悟しておいてください」と言われていたため、その時から現在までずっと覚悟ができていた。あーとうとう来たかという感じだ。そういえば、今日は母の日だ。
次の日の朝9時にまた姉からメールが届いた。“9時40分死亡”。
お通夜、葬儀に出るためにひさしぶりに来た羽田空港はコロナの影響で数本しか便がないためガラガラだった。今年はろくなことがない。フライトの間選べる無料の飲み物もパックのお茶しか選択肢がない。いつもりんごジュースを飲んでたのに..(涙)と小さすぎる不幸まで噛みしめながら藍染と投石の街徳島に着いた。県知事が藍染のマスクをして投石すなと会見をしていた。空港の出口を出て、石が飛んできたら、屁で空を飛び、鼻くそを落とし、小便でカタパルトを腐らせて応戦しようと思っていたが、迎えに来た姉しかいなかった。
お通夜は私服でいいと言われたので、サルエルパンツと赤いスニーカーのそれにしてものコーディネートで向かった。家族葬なので俺、姉、兄、父親、母親の妹、その旦那さん。の6人しかいない。気楽で助かる。これから、遺体が来て、体を洗ってから白装束に着替えさせ、化粧をし、棺に入れるようだ。しばらくすると、シートに巻かれた母親の遺体がやってきた。はじめて顔を見たが、ちょっとみかんを食べ過ぎたぐらいの顔色で、ただ寝ているように見えた。生きてる間に最後に会ったのは今年の正月。漫画家になったことを伝えるとちゃんと理解したのかはわからないが「すごいな」と言っていた。
引きこもりでニートの兄は死んだおじいさんの遺品のスーツを着て葬儀場に来ているが、現実を受け止めたくないのか祭壇のある畳の部屋に上がって来ず、ふすまを開けて一段降りたところの場所でずっと鼻をすする音と舌打ちを響かせながら行ったり来たりウロウロしていた。時々癖のげっぷも飛び出し、そのたび葬儀屋の人たちが見つめていた。
明日の葬儀はさすがに喪服を着た方がいいのだが、最近コロナで元々少なかった運動がさらに減り、めちゃくちゃ太ったのでレンタルできる喪服の中に合うサイズが無く、葬儀屋の方が他の葬儀場も探してくれるようだが、もし無かったら買いたくないのでこのまま私服で出るか、偶然通りかかった野次馬として遠くから私服で参加しようと思っていた。これが合わないと終わりですと持ってきてくれた喪服がなんとか合った。ありがとうございます。
お通夜の儀式が終わると、誰か1人このまま葬儀場に泊まって、朝まで遺体の前にある線香を絶やさないようにしないといけないらしい。なぜか俺が指名された。なんでやと思いながらも、まあ父親と姉は入院からここまで疲れてるし、兄はああだし、まあ俺かあと泊まることにした。
遺体が置いてある畳の部屋は、遺体が置いてある以外は旅館だった。ふわふわの布団、お風呂、歯ブラシ、冷蔵庫。蚊取り線香のようにぐるぐる巻きの形の線香から煙が出ている。これを4時間後の24時に1度変えれば朝までもつらしい。棺の小窓は開いたままになっているので、いつでも顔が見える。化粧をされてさっきよりもさらにただ寝てるだけのように見えた。この顔も明日には焼かれて見れなくなると思うと、急にずっと訪れてなかった悲しい感情が湧き出てきた。人前にいると家族であろうが泣くことがない。我慢するというよりそういう感情にならない。ひいたところから眺めてしまう。たぶん今日泊まって1人になってなければ、ずっと工場見学の工程を見るように「ほー、なるほど。ふむふむ」と泣くこと無く、火葬場で骨を眺めていただろう。死んだら何もわからないだろと冷めた気持ちもあるが、まるで寝てるような顔を見てると、何も答えないが聞いてるような気はしてくる。念のためシャワーを浴びたあと、全裸で近づき、屁もしておいた。
毎日香じゃない独特な線香の臭いの中で食事をする気になれないが、今日はまだ何も食べてなかったのでコンビニで買って冷蔵庫に入れてあった冷やしとろろそばを取り出し、食べようとすると麺がシャリシャリに凍っていた。冷蔵に入れてたのに信じられない強さで凍っている。どこの葬儀場の冷蔵庫もそうなの??遺体とか冷やすことに意識が高いから??と、自然解凍するまでしばらく待ったあとすするとかき氷みたいな歯の染み方をした。
次の日の昼、棺の蓋を閉じる前に家族で花束や一緒に焼いてもらう物を入れた。姉はなぜかパジャマを2着入れていた。俺はどうせ読めないしとまだ渡してなかった自分の単行本一巻と二巻を入れた。漫画家になってることを知らない父親や兄は不思議そうな顔で見ていたが視線を無視して胸元に並べた。お坊さんが戒名をつけたので、戒名の説明をしてくれたが、病気を何度も堪え忍んだことを表す名前で、そんなのつけるなよ下手かよと思った。父親からどんな人生だったかのデータを聞いたと思うから、伝えたほうの問題もある気がするが、そんな母親の人生の後半の一部分のしんどいところを死んだあとも名前にすな。舟木一夫とホールケーキが好きだったから舟木円柱(ふなきえんばしら)とかにしろよと今日鬼滅の刃の新刊が出てたことも思い出した。
葬儀場から焼き場へ。喪主の父親と遺影を持った姉は霊柩車で、他は葬儀場のマイクロバスで移動した。焼き釜に入れたあと1時間半後再び焼き釜の前に呼ばれると、母親が灰と骨だけになっていた。自分で想像してたように「ほー、ゆでたまごの殻みたいですな」と眺めていたが、兄は嗚咽を漏らしていた。
帰省するたび母親に聞かされる俺が子供の頃のかわいいエピソードがあって、怖い夢を見たのか隣で寝てた母親に「手つないでいい?」とお願いしたことと、人参が嫌いだがうさぎちゃんと呼ばれるとあーんとしていたこと。今も母親の夢に出てくる俺は園児らしい。俺をどうしたいんだ。といつも思っていた。死んだ先の世界があるかどうか知らないが、見守るとかしなくていいし、なんなら俺や家族を忘れてほしい。自分の好きなことだけしてすごしてくれと願った。
クラリネット
夜勤へ行くために夜9時ごろ起きると携帯に知らない番号からの不在着信があった。またいろんな未払いの催促かと思ったが念のためその番号を検索してみるとグランドジャンプ編集部と出て、数ヵ月前にグランドジャンプの漫画賞へ投稿したことを思い出した。数日後、連絡が取れて、R30という漫画賞で佳作になりましたと伝えられた。漫画家になるぞと上京してきたのが26歳(たぶん)。12年かかったがはじめて褒められた。賞を獲れたことよりも電話で編集の人が褒めてくれたのが嬉しかった。12年間で1番褒められたのが“出オチで終わった”(出たとこはオチたんだ)なので、あまりにも褒めてくれる編集の人が講談社フェーマススクールズの気さえしてきた。佳作だし、R30漫画賞なのに準入選の作者が22歳てどういうことだよと思ったり、そんなにガッツポーズできることでないかもしれないがただホッとできた。漫画賞に出しても無風、ネットに漫画をアップしてもいつも同じ人たちが無言で♡を押してくれるだけでこれはもしかして“振り返れば奴がいる”のクラリネットを吹いて聴かせる末期ガン患者なのでは..と、何か生きる証みたいなものが必要になるんだよと石黒賢が看護婦をなだめてたことも思い出した。


12年以上も漫画家を目指してると言ってる奴に誰も心からなれるよとは思ってないのは当然である。地元に帰った時普段全然怒らない友達が酔っぱらって「いつまでやってるんだ」とマジ説教をされたことがある。私は毎年夏と冬は帰省していたのだが、怒られたくなくて去年夏帰るのを中止にしてしまった。大人になってから会社ならまだしも帰省で登校拒否が起きるとは思わなかった。昔この友達の家へ遊びに行った時、奥さんが台所でカレー作ってる間友達が4歳の自分の娘のケツ触って「もうっ」と娘に手をはたかれる遊びを延々繰り返し、とうとう娘が泣き出して私のところへ駆け寄ってきたので「だいじょぶよ」とケツ触ったら、一旦扉にガシャーンってぶつかってから扉開けて逃げていったのだが、そんな人間にマジの説教をさせてしまったことが辛かった。佳作を報告するとすごく喜んでくれた。今年の夏は帰れる。帰省すると死んだじいさんの墓参りをするのだが、毎回漫画家になれますようにとお願いをしていた。普通のじいさんが死んで“家族の枕元に立つ”でMP0になる霊になっただけなのに太宰府天満宮みたいな願いを言われても困っただろう。まだなれてないけど近づいたことだけは報告できるのが嬉しい。
ネットの友達からお祝いで娘をもらった。おそらく私が一生育てることがないからだろう。


テレビを見てる時娘の後ろ姿があるだけで世界が変わるな...。


ねねちゃんはお湯に浸かると髪の毛がなぜかサイヤ人みたいに金髪に変わる機能が付いてるので、どうしても怒ってる気がしてしまうが

きゃっ きゃっ
そうでもないようだ

こらこら

1番やりたかった“風呂上がりの娘の髪の毛をドライヤーで乾かす”だが、注意書きにドライヤーで乾かすと髪が天パになると書いてたのでできなかった。
今後の話をするために集英社へ行った。まさか自分が集英社へ行くことがあるとは想像もしてなく、中に入るとすぐワンピースだらけで怖くなっていったん外へ出てしまった。場違いがすごい。賞を獲るまで12年かかったがデビューできるまでどれくらいかかるのだろう。数年前から自分に才能があるとかないとかもうどうでもよくてやりたいからずっとやろうと決めていた。忘れた頃にやってくるから不思議なものだ。自分に娘ができることも忘れた頃にやってくるかもしれない。長生きしよう。


12年以上も漫画家を目指してると言ってる奴に誰も心からなれるよとは思ってないのは当然である。地元に帰った時普段全然怒らない友達が酔っぱらって「いつまでやってるんだ」とマジ説教をされたことがある。私は毎年夏と冬は帰省していたのだが、怒られたくなくて去年夏帰るのを中止にしてしまった。大人になってから会社ならまだしも帰省で登校拒否が起きるとは思わなかった。昔この友達の家へ遊びに行った時、奥さんが台所でカレー作ってる間友達が4歳の自分の娘のケツ触って「もうっ」と娘に手をはたかれる遊びを延々繰り返し、とうとう娘が泣き出して私のところへ駆け寄ってきたので「だいじょぶよ」とケツ触ったら、一旦扉にガシャーンってぶつかってから扉開けて逃げていったのだが、そんな人間にマジの説教をさせてしまったことが辛かった。佳作を報告するとすごく喜んでくれた。今年の夏は帰れる。帰省すると死んだじいさんの墓参りをするのだが、毎回漫画家になれますようにとお願いをしていた。普通のじいさんが死んで“家族の枕元に立つ”でMP0になる霊になっただけなのに太宰府天満宮みたいな願いを言われても困っただろう。まだなれてないけど近づいたことだけは報告できるのが嬉しい。
ネットの友達からお祝いで娘をもらった。おそらく私が一生育てることがないからだろう。


テレビを見てる時娘の後ろ姿があるだけで世界が変わるな...。


ねねちゃんはお湯に浸かると髪の毛がなぜかサイヤ人みたいに金髪に変わる機能が付いてるので、どうしても怒ってる気がしてしまうが

きゃっ きゃっ
そうでもないようだ

こらこら

1番やりたかった“風呂上がりの娘の髪の毛をドライヤーで乾かす”だが、注意書きにドライヤーで乾かすと髪が天パになると書いてたのでできなかった。
今後の話をするために集英社へ行った。まさか自分が集英社へ行くことがあるとは想像もしてなく、中に入るとすぐワンピースだらけで怖くなっていったん外へ出てしまった。場違いがすごい。賞を獲るまで12年かかったがデビューできるまでどれくらいかかるのだろう。数年前から自分に才能があるとかないとかもうどうでもよくてやりたいからずっとやろうと決めていた。忘れた頃にやってくるから不思議なものだ。自分に娘ができることも忘れた頃にやってくるかもしれない。長生きしよう。