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隣2

今日も隣の部屋の住人のでかいひとりごとが聞こえる。引っ越してきた時に母親と一緒に挨拶というか、挨拶する母親の後ろにいただけだがおそらく高校卒業して大学か専門学校に進学する十代の男だった。


このアパートは2部屋しかないのにでかいひとりごとを喋る人がやたら引っ越してくる。私がここに住んでから隣は3回人が変わったが3人中2人がでかいひとりごとを喋る。


最初の人は女性で前ここで書いたような人で、ずっとひとりごとだと思っていたことがある日私の悪口だったとわかるホラーだったが、今の隣の青年もひとりごとではなく、どうやら漫才か何かのネタの練習をずっと一人でやってるようだ。断片的に聞こえてくる“うっそー”“ちょっと男子”“はい論破”から糞つまらないことはわかるが、たまに“イェー在日在日在日在日在日..”と誰に向けて発表するのかわからないつっこみ(何をボケたんだ)が聞こえるので、いくらつまらなくても十代のお笑い芸人になりたい若者がイェーのあとにただ在日を10数回連呼するつっこみがある台本を作ると思えないし(言われてる間ボケは何してたらいいんだ)、家に友達らしき人が来ても相方と一緒に練習することもないので、だんだん漫才とかピンネタとかお笑いをやりたい人ではない気がしてきたが、だとしたら日々繰り返し練習してる意味がわからなくて怖いので、何かしらウケようと練習してるどうしようもない奴だと思うことにした。



私は仕事が夜勤なので就寝で悩まされることが多い。私が寝る時間に洗濯機は回りだし、登下校の声がこだまし、夏休みには盆踊りの練習がはじまる。もちろん少数派は夜勤だとわかっているので我慢するのだが、寝不足が続きすぎるとそんなこと知ったことかと隣で建ててる新築の上棟式に、窓からエアコンの室外機を階段にして出ていき、紅白幕から顔だけ出して怒鳴ったあと、室外機を四足で登って頭から巣に帰るというトカゲのおじさんになってしまい、家が完成したあと洗濯物干そうと窓を開けるとバシーンと慌てて窓を閉められる音がするのである。



隣の青年の練習も我慢していたが、あまりにも長い時間繰り返し続けるのと夜中に洗濯機回し出したりすることから別に私が夜勤だからとか関係ないじゃんとムカついてきたこともあって、練習が何時間も続くと壁を叩くと凹むかもしれないので壁側にある収納ボックスを蹴ってその振動で俺は怒ってるぞという意思を伝えて静かにさせるということでなんとか凌ぐようになったが、しばらくすると効かなくなり、収納ボックスが本当に“収納”ボックスになってしまった。







收納ボックス








知り合いに最近隣がうるさくて眠れないと言うと「耳栓したら」と言われたが、私は普段音をほとんど出さなくて2階に住む大家さんにもずっと留守かと思ったと言われ、音楽もAVもヘッドホンでしか聴かないし、歯磨きやひげ剃りも隣の迷惑にならないようにできるだけ密閉された浴室の中でやるし、テレビも音量を一桁にしてるし、家に来る友達もいないので話し声もないし、と孤独死してから三ヶ月は発見されない自信があるおじさんなので、家を建てるならまだしもこんな最悪の練習のために、なんで声を奪われ(誰も奪ってないが)、耳まで奪われなければいけないんだと納得できず、考え抜いた結果壁際で歯を磨き、放屁をし、ヒゲを剃るという、“できるだけ壁で生活をする”という戦いを選んだ。音には音で戦うのだ。


隣が練習をはじめると、テレビの音量を隣の声が聞こえなくなるまで上げ、壁に肛門を付け“バウンッ”と壁を屁で叩くとなんと壁を拳で叩くより効き目があった(屁のせいではない気はするが)。ハッハッハと心の中で高笑いしながら、“今日は下痢屁(ゲリベ)をこめかみにプレゼントだ”とイチかバチかの放屁をお見舞いしてる時ハッと気づいた。




“これって...騒音おばさんなんじゃ...”






騒音おばさんテロップa








騒音おばさんテロップb









一説によると、報道で一方的にキチガイのおばさんみたいになってた騒音おばさんも被害者とされる夫婦から先に嫌がらせを受けていてそれに反撃してただけという話もあるが罰を受けたのは結局騒音おばさんであり、収納ボックスがほんとに収納ボックスになったのはトカゲのおじさんである。収納ボックスははじめて一人暮しした20年近く前からずっと使っていた。もう引っ越すことがあっても一緒に連れて行くことはできない。私は戦いを止め、ファミリーマートで無印の耳栓を買った。

終わりの季節

10月25日18:20。姉からメールが来た


姉のメール



母親は10数年前私が実家を離れ県外の大学生活を送っていた時に脳出血を起こし、一命は取りとめたがそれからずっと左半身麻痺の車椅子生活を送っている。大学を卒業し、また実家から離れた県外の企業に就職してすぐ退職、漫画家になりたいと思い上京し10年、未だ働いてるコンビニのストレスをぶつけた漫画を自分のブログにアップする連載しかしてない現在までの間に、母親はさらに2回脳出血を起こしている。

1度目の脳出血の時医者から「覚悟しておいてください」とドラマでしか聞いたことないセリフを言われた。これまで母親が風邪で寝込んでる姿さえ見た記憶がないのに、いきなりICUでピトーを倒したあとみたいになってるのを見て、このセリフを言われたので、心がやられないように先手必勝で母親との別れを自分の中で済ませた。なので、その後奇跡的に左半身麻痺だが元気に回復したあともどこかずっとオバQと一緒にいる気分になり、のちに2回脳出血が起きたと連絡があった時も、オバQが正ちゃんの家に住めなくなるぐらいのドキドキで「堪忍やで~(涙)」と西に向かって拝んでいた。調べたらオバQは卵から産まれてるので幽霊ではなく、ジバニャンの方が近いかもしれないが、元々何の趣味もなく社交的でなかった母親が病気になってから突然なぞなぞでリハビリ施設の人気者になってたので(施設の新聞に母親のなぞなぞのコーナーができてた)、オバQがやることだと思う。ジバニャン知らないし。




姉のメール1


親が死んだ時何もしてやれなかったなと後悔することがあるらしい。親が死んだ時に、親孝行って何って考える。でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない。とは思えないわけで、やっぱり生きてるうちにマンションを買い、旅行にも連れていき、赤坂プリンスを押さえてるのである。この肺炎からの死しか待ってないようなメールを読み、もし母親が死んだらと想像した時悲しいではなくやばいと思ってしまった。母親にした親孝行で“肩揉み”が浮かんだ。1番に肩揉みはやばい。もう40代も見えてるのに。私は肩を揉む才能があった。じいさんが按摩さんだったのだが、その才能を唯一受け継いだ孫が私だった。子供の頃いろんな大人の肩を揉んだ。自分の家で、正月の親戚の家で、職員室で、部活で。最悪だったが揉んだ人が本当に気持ちよさそうな顔をするので少なからず喜びがあった。母親も肩こりがひどかったのでよくリクエストされて揉んでいた。母親はそれでも嬉しいというかもしれないが、子供の頃の肩揉みと、毎月常に貯金が無くなり、友達が「もうあそこでいい?」となんとなく指差して入ったロイヤルホストでほぼ1000円以下の食べ物がないことに気づき「(お前に)騙された」と大声を出して500円奢ってもらう30代の乞食の肩揉みでは、子供も乞食も肩揉みとの相性は良いかもしれないが印象は違う。今も揉むしかない現状が情けなかった。










姉のメール2






姉のメール3



肩揉み以外で思い出すことがあった。私は子供の頃異常に懸賞が当選する時期があった。それも1名や3名とかの上位商品が怖いぐらい当選していた。思い出しただけでも、エンペラーのラジコン、ホバークラフトのラジコン、魍魎戦記摩陀羅のカセット、少し大人になってからだがセガサターンの本体などが当たった。だんだんその商品が欲しいより当選する喜びの方に気持ちが流れていった私は、少年ジャンプなどの競争率が激しい懸賞より、地元のケーブルTVやタウン情報誌の懸賞に応募するようになり、全然欲しくない釣り竿やホッカイロのセットなどを当て、いつの間にか舟木一夫のコンサートのチケットを手に入れていた。私が子供の頃から学生服着たおじいさんだった舟木一夫に興味があるわけなく、どうしようかと思ったが、年代的にもしかしたらと一応母親に尋ねてみるとまさかの「行きたい」だった。母親は無趣味で本を読んでるとこも音楽を聴いてるとこもテレビで何か反応してるとこも見たことがなく、買い物以外で出かけるのは葬式と結婚式ぐらいしかなかったので、ましてや舟木一夫という同年代のアイドルに興味があるとは思ってなくて驚いた。妹の叔母と一緒にコンサートへ行って帰ってきた母親の体は完全に火照っていた。舟木一夫とS-Cute撮ってきたみたいな顔だった。そういえば母親が何を好きなのか食べ物ぐらいしか知らない。ただ流してるだけだと思っていたNHK歌謡コンサートも家事をしながら見ていたのだ。これが今のところ1番の親孝行かもしれないと思ったが、俺は乞食から逃れられないのかとも思った。



















姉のメール4



ノーマークだった。


こんなウケ方あるかよ。何の心配もせずにただただ笑ってしまった。
コインランドリーのフェンスってなんだよ。コインランドリーのフェンスを車で突き破ったらダメだろ。
頭にブラジャー乗せて気絶してるとこ浮かんだだろ。



どうやら自宅で洗った洗濯物を車に積んでコインランドリーの乾燥機で乾かそうと向かったら、コインランドリーのフェンスを突き破ってたらしい。何でかはわからないようだ。前のメールを見る限り、単純に疲れていたのだろう。
父親にケガは無いし、誰も巻き込まなかったのが不幸中の幸いだった。実家には軽自動車が2台あって、ひとつは父親の車、もうひとつは働かずにずっと二階で引きこもってる兄貴の車(おじいさんが買ってくれた車だが)があり、ちょうど父親の方の車の調子が悪く修理に出してたので、兄貴の車を借りてコインランドリーに向かいフェンスを突き破り、車が大破したので、ずっと兄貴が発狂してるらしい。兄弟で唯一まともな収入がある姉にはただただ申し訳ないとしか言えないが、私は肩を揉むしかない..。






姉のメール5

ベランダ

10年前ぐらいに漫画家になろうと上京した時今のアパートに住もうとすぐ決めた。実家が大阪に住むことさえリアリティがない徳島の田舎ということもあって、東京のどこに住みたいかと聞かれても池袋、渋谷、浅草、吉祥寺とろくでなしブルースの四天王しか思い浮かばなかったので、家賃も世田谷は浜ちゃんが住んでるから高い、中野に貴乃花がいる、ゆりかもめ、肩にカラスを乗せて自転車で走っている清水ミチコを見たなどの薄らとしたイメージとトスポの情報しかなく、自分だけで決めたら取り返しのつかないことになりそうで、幸運なことに先に上京してた地元の友達の山地(やまぢ)がいたのであいつ貧乏だしその近辺なら間違いないだろと思い、相談したら不動産屋を紹介してくれたのでそこに決めた。


中学生の頃休み時間はよくベランダに出ていた。それは別にベランダが好きだったわけではなく、教室にいるクラスの女子やゴリラの顔マネで誰かの背中を上から下に叩くことで主にウケてる宮迫みたいなクラスの人気者の男やダークシュナイダーのことと思ったら自分のエロい話をしてるヤンキーたちから感じる俺とは関係ない空気に耐えられず、ベランダのくせにほぼ不法投棄とドブ川しか見えない景色を無心で見ている人たちが集まったら、自然と気が合う人たちも集まったというだけでその中に山地(仮名)もいた。


山地は小学生からの友達で一人っ子ということもあってか親が厳しかった。昔はというかうちの地域だけかわからないが、学校の行事で自転車に乗るための自転車検定というのがあって、運動場に白線で引かれた道路の上を走らされ、そこでひとつでも交通違反をすれば自転車に乗れなくなり、小1の時、試験当日に初耳の手信号をやらされるASAYANみたいな謎のいじわるで全員不合格になり、ピカピカの自転車が没収されるということがあったので、自分の家から2キロぐらい離れた山地の家まで歩いて遊びに行ったら、「今掛け算してるから」と山地のおじいさんに簡単に帰らされ、網戸の向こうで机に向かいながら一礼だけする山地が見えた。


山地の家の食事は、親父が「おかわり」というと山地が茶碗を受け取り、ご飯をつぎに行かなきゃいけなくて、侍みたいな主従関係が親子の間であった。遊びに行ってもおじいさんや親父に会うのが恐ろしくて、玄関で「やーまーぢくん」と叫ぶかピンポン押すか迷ってたら、いつの間にか横に立ってた山地の親父に「ピンポン押せや」と言われて漏らしそうになったり、おじいさんに戦時中に橋の上で中国人をめちゃくちゃ斬った張飛みたいな話をされ、チャンと切ってコロっといくからチャンコロと言うんやと、最近調べたらそんな由来じゃなかったので、元を知らないのに小学生に不謹慎由来ギャグを言ってつっこませようとしてたことがわかり余計に怖くなった。



山地はデブで腕力もあったので、こんなに厳しく育てられてたら絶対ヤンキーになると思ってたのだが、庭に親父といっしょに作ったタイヤのサンドバックを毎日殴って拳を鍛える拉麺マンになっていった。当時まだKー1もやってなかったのにブランコ・シカティックの話をされ、部屋に堀辺正史の骨法の本が散乱してたり、高校の修学旅行で東京に行った時自由時間はグループ行動で同じグループだったのだが、強制的に御茶ノ水のブルースリー会館に行かされ、そこで大半を過ごし、新選組の着物が欲しいと浅草に行き、さすがにイライラしてきた俺が竹下通りに行きたいと残り時間わずかで原宿へ移動し、時間が無いので露店みたいなとこで見つけた缶コーヒーのBOSSのマークが印刷されたTシャツをかっこいいと思って(何で思ったのかわからない)買い、集合場所に集まると、みんな原宿や渋谷で買った服やスニーカーを持って集まってるのに、うちのグループだけトンファーとよく見たらBOSSじゃなくてBOSEと書かれたキャラクターの頭がハゲてる全然面白くないTシャツを持って集まっていて、彼女なんてできるわけないと思った。



高校生になった山地は朝5時ぐらいになると毎日俺の家まで迎えに来るようになった。土手で組手をさせられるからだ。少し離れたところにある土手まで走り、組手というか、いろんな技の実験台にされていた。不思議なもので毎日いろんな蹴りを受け止めてると受けるのが上手くなり、あまり痛くなくなってきた。ある日山地が「蹴りを受けながらも攻撃する方法がある」と言い、蹴りを受け止める時ファイティングポーズの片腕をもうひとつの手で押さえた形でガードするのだが、当たる瞬間に肘を少し上にあげると足が砕けると教えられ、3秒後山地の足が砕けていた。悲鳴をあげながらのたうち回る山地を見ながら、ほんとに防御だけで足を砕けたことに感動した。帰り道は歩けてたので骨折はしてなかったと思うが、足を引きずり気味だったので心配したのだが本人が大丈夫というのでそういうことにした。次の日から迎えに来なくなった。



高校生の山地が突然ミュージシャンになると言い出した。普段遊びに行っても、CDなんて親父やおじいさんと共有の村下孝蔵とテレサテンと誰かから借りパクした愛しさとせつなさと心強さとしか見たことなかったのに、何があったんだと思ったらXにはまったらしい。しばらくすると、どこかから手に入れたフォークギターで曲を作るようになった。できたので聞いてくれと、曲を録音したテープと歌詞が書かれたノートの切れ端を渡され、家に帰って歌詞を見ると「はじめて君とトマト畑で出会った」と書いてあり、オヨネーズかと思ったが聞いてみると、曲調はギターなのになぜかオルゴールバージョンに聞こえて農家の恋愛ではなく普通の若者の初恋だった。もう1曲はタイトルのところにバーニングラブと書いてあり、サビのはじめに「バーニ ラブ」(バーニングをバーニと言うのはやめてくれ)と叫んだあと、「どうしてわかってくれない~」と作った曲の音の高さに自分の力が追いつかず声がどんどん出なくなって後半ギターの音しか聞こえなくなり、ここ最近で1番笑うことができた。



山地は東京の大学に進学することになり、それと共にプロになるためにバンド活動もはじめていた。この曲引っさげて東京へ殴り込みに行く度胸は買うが、友達の俺だから笑うのであって(それも不本意だろうが)、東京の人に聞かせたらバンドさえ組めないんじゃないだろうかと思ってたら、意外とすぐバンドを組めて、ベースボーカルで、曲は他のメンバーといっしょに作ってるようだった。数年後、仕事を辞め、後を追うように上京した俺が指定された渋谷のライブハウスに行くと、ステージになぜかスウェーデンのサッカーの黄色いユニフォームを着て鎖をいっぱいつけたハーフパンツで金髪の山地が下っ腹にベースを乗せて歌っていた。衣装と肥満はダッセッと思ったが、はじめてステージで見る山地は輝いていた。中学生の頃ベランダにいる時から山地中心でずっと話が回っていたので、どこかずっとベランダの人間のスターだった。お世辞にも音楽の才能があるとは言えないが、そんなの関係なくもしかしたら何か起こすんじゃないかという魅力があった。“国境”と書いて“くに”と歌っていても死ねと思わなかった。


夜中に山地から「はあ..」とため息からはじまる電話がかかってくることが多くなった。貧困とバンド活動とおじいさんが死にそうだけど看取れないかもしれない。などのストレスで相当貯まってるようだった。普段そんなに電話をかけてこないので、この時期は相当しんどかったんだなと思う。ある日「松屋の豚めしでいいから奢ってくれ」とストレートに乞食の電話がかかってきたので、豚汁を付けてあげることも無くほんとに豚めしだけを奢ってあげた。「お前に奢られるとは..」と奢ってもらってるのに失礼なことを言っていた。しばらくすると、山地はバンドを解散し、夜中電話がかかってくることも無くなった。



山地は不動産屋で働き出した。金で見返してやると銭の戦争みたいなこと言っていた。ミュージシャンよりも才能があったのか、2、3年すると独立し、自分の会社をはじめて、前の職場で知り合った女性と結婚をした。結婚式に招待されたのだが、長い間スーツを着てなかったけどまあ大丈夫だろと袖を通すと想像より太っていて全く合わず、AOKIで1番安い19000円のスーツを買ったのに革靴も無かったことに気づいて、これ以上の出費はキツすぎるので家にあった靴で1番革靴に似てるエアジョーダンを履き、移動日のジョーダンで式に出席した。電話で「ジョーダンでいいかな..」と相談したら「(結婚式で)お前のことを誰も見てない」と答えた友達が、俺のズボンの裾をめくり、ジョーダンがボールを持って飛んでるマークを見て笑っていた。

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今年の正月は俺は帰省をしたが山地はしなかったので、東京に戻ってから安い居酒屋で山地と山地の奥さんと俺と3人で新年会をした。山地の会社は別にそんなに儲かってないらしいが毎年大晦日は部屋風呂付きの温泉宿に泊まることにしてるぐらいの稼ぎはあるので、俺のコンビニの稼ぎに合わせて安いだけが売りの居酒屋にしてくれた気がする(嬉しくない)。山地は酔うと必ずする話が、中学生の時2人ともデブで体育の授業で1500m走の最後尾を走ってたら、山地の真後ろを走ってた俺が突然こけたので「大丈夫か?」と助けにいったら「お前足かけたやろ!」と俺にキレられた話だ。俺は薄らとしか覚えてない話なのだが、当時の自分を考えるとデブ2人が最後尾を走ってるのも恥ずかしいのにその上足がもつれてこけたのが恥ずかしくて罪を擦り付けたってことは十分ありえることなので、覚えてないが毎回謝ることにしてる。山地は記憶力がよく、昔嫌な思いをさせられた人間のことをずっと覚えていて「あいつは裏切った」「あいつはあれから信用できない」とずうっと忘れずめちゃくちゃしつこいので毎年酔うと必ず謝ることになる。終電が無くなりそうなのでもう帰ろうとすると「カラオケ行くぞ」とカラオケに連れてかれ、深夜2時を回り完全に終電が無くなったので、始発までネットカフェにいようと思ってると、山地がタクシーを止め、タクシー代1万円を渡された。普通はまず遠慮したり同級生にタクシー代渡された惨めさで怒ったりした方がいいと思うのだが(形だけでも)、なんかめちゃくちゃ感動してしまった。自分の想像する社長がそこにいて、それが友達なことにすごいと思った。あと、お釣りももらえるの?とも。「社長、ありがとうございます」とお礼を言うと「お前は豚めしを奢ってくれたからな..」と言われた。これも酔うと必ずする話だ。




休み時間にベランダにいると、遠くの方から自転車に乗って真正面からだんだん校舎に近づいてくる人が見えた。「あれ?たかのじいさんやろ」と周りに言われ、よく見ると、お客さんの家へ治療しに行く途中の鍼師をしてるうちのじいさんだった。じいさんは座頭市みたいに目がほとんど見えない按摩さんなので、自転車に乗れることもすごいがあんなドブ川の横走ってたら危ないなあと思って、どんどんこっちに近づいてくる様子を見てると、まっすぐ走ってた自転車がだんだんドブ川の方に近づいていき、横に止め、立ちションをはじめた(はっきりちんぽが見えた)。

横断歩道

うちのアパートは玄関出てすぐ横断歩道なので、日曜以外は緑のおばさんが「あら、おでかけ?」と話しかけてくる。



もうここに住んで10年近くなるのだが、このおばさんというかおばあさん(60~70歳くらい)しか見たことなく、夜勤明けで家に帰ってるのに「いってらっしゃい」と声をかけられ、いってないので返事はしないが桜井和寿の笑顔で会釈をして家に入り、コンビニで飯を買おうとすぐ家を出ると「ごめんね~(涙)。おかえりなさいよね。では、あらためまして(ビシッ)、いってらっしゃいませ(笑)」と心の敬礼が聞こえるいってらっしゃいをやられた。「やれやれ..」とコンビニでどん兵衛にお湯を入れてゆっくり戻ってくると今度は全く意味はわからないが「まあ〜、うさぎと亀(笑)」とたとえられ(先にどん兵衛持って走ってた奴がいたのかもしれない)、なんかめちゃくちゃむかついて無視してしまった。気のせいかもしれないが赤信号で待ってる小学生もみんなおばあさんから話しかけられてる間100m走のスタートラインにいる時の顔をしてる(ゴールだけ見てる)。良かれと思ってこんな朝早くから緑のおばさんをやってくれてるわけなのであまり何も言えないが、正直俺のことはほっといてくれとしか思えないので、未成年の身の安全だけ守っていてほしい。




コンビニ夜勤が終わるとよくバスで帰ってるのだが、全く自分と同じ乗り降りをするおばあさんが毎回いて、向こうも顔を覚えたみたいでバスが来るまでの間よく話しかけられるようになった。今日の気温の話やバスがなかなか来ない話をしてるだけなのだが、やっぱり仕事が忙しかったり、品出し中客がレジに近づく足音が聞こえ、ハイヒールで競歩してるような音と車輪がガラガラする音まで聞こえて嫌な予感しながらレジへ走ると、やっぱり「タバコ」「コーヒー」と名詞しか喋らず、昔見下されていた同僚にパーティー会場で札を拾わすみたいに店員に硬貨を投げて拾わすピンクのアタッシュケース持った女性客だった日の後だとイライラしてるので話しかけないでくれと思うのだが、おばあさんの背中が丸いので許してしまうとこがあった。語尾がむにゃむにゃしていて何言ってるかわからないのもかわいい。横断歩道のおばあさんは背筋がピンとしていて滑舌もよく、井出らっきょとセックスしてそうな感じなのでかわいげがなかった。おばあさんは全員背中が丸くて口が肛門みたいであってほしい。




正月休みに実家へ帰った。うちのおばあさんは背中が丸くて口が肛門みたいなうえに、子宮が落ちて金玉があるのでおばあさんのかわいさを通り越してチンパンジーのかわいさがある。最近はボケてきて俺を兄貴と間違えたり、姉に子供がいると思ってたり、親父に布団の下に隠してた金を盗まれたと言ったり(これはありえるけど)、箸を使わなくなったり(酢の物を手で食べてた)、お茶漬けにお湯をかけなくなったり(お茶漬けの素を皿に出して、指を付けて舐めてた)、風呂があるのに流し台でシャンプーしたり、家の向かいに住むそんなに仲良くもないおばあさんに「死んだらお願いします」と自分の葬式代渡してたり、かわいいだけで済まないこともあるし、かわいいと思って丸い背中をさすったらヒくぐらい背骨が出てて怖ってなったりするが、こいつよりかわいいおばあさんいないなと思う。じいさんの仏壇の菊が、子連れ狼の道中にあるお地蔵さんの菊ぐらいめちゃくちゃに枯れてた。

冬になるとちん毛を切っている。皮が巻き込むからだ。

毎年秋から冬になる時期にちんぽが痛くなる。「噛まれた」とパンツの中を覗くと虫を食べた後の食虫植物みたいなちんぽが見える。仮性包茎な上に大きさがおせちの剥き海老(ややこしいね)なので、寒くなってチャーハンの剥き海老に縮むと全部のちん毛を巻き込んでしまい、FC2アダルトでオナニーをしてそのままFC2一般で昨日のごめんね青春を見たあと立ち上がると「痛ぁあ!」となってしまう。なので、巻き込まないようにちん毛を切るようにしている。仮性包茎でちんぽが小さいと風俗嬢に洗ってもらう前に待合室のトイレで洗わないといけないし、服とちん毛で2回衣替えしないといけない。


寒くなると肌が痒くなる。これは誰でもそうだと思うが、30を越えてからどんどんひどくなってきている。朝起きて、何か足に毛布のカスがやたらついてるなと思って見ると、皮が無かったりする。寝てる間に痒くて掻きむしってるのだが、皮が無くなることは20代では無かった。30代になると皮がいらないとこにあり、皮が欲しいとこに無くなる。皮が無くなるのは加齢と関係ない気もするが、20代の頃は朝起きたらふくらはぎと足首の皮が無くなってるとは夢にも思ってなかったので加齢が原因でないとは言い切れないし、将来に不安しかない自分が無意識に自分を消そうとしてるのかもしれない。布団を干したら楽になった気がする(ダニでしたね)。皮膚科に通うようになったが、これも20代の頃は考えられなかった。背が低く短足で小太りの自分は見た目で誉められることは少ないが、鼻の高さと肌だけは風俗嬢に誉められていた。鼻の高さはどうでもいいが、肌の綺麗さには自信があったので友達に「お前のおっぱい貴ノ浪に似てるな」と言われても傷付かなかった。形が変でも綺麗だから、それがどうしたと思ってたのだが、よく考えたら俺は男だった。今は肌が悪くなった変わりに知恵を覚えたので、痩せれば全てが上向くんじゃないかと思って、今年から炭水化物を抜くダイエットをはじめている。昨日までじゃがいもをめちゃくちゃ食べていたことに気づいた。じゃがいもも炭水化物だった。“野菜”だと思っていた。








友達に赤ちゃんが産まれると赤ちゃんの名前が書かれた命名札を送られることがある。実家ではしばらく家の壁や冷蔵庫に貼ってあった記憶があるので、もしかしたら縁起を担ぐ意味があるのかもしれないと思って、一人暮らししてる東京のアパートでも壁に貼ってあるのだが、最近誰の子供かわからなくなっている。こういうことを想定せずに名字がないタイプを選ぶ親は公園で子供が滑り台の滑る方から登って激突死すると一瞬思ったのだが、誰の龍之介かわからなくなるほど永遠に貼ってる俺の方が気味が悪いことに気づいた。せっかくなので思い出すまで貼っておくことにする。
プロフィール

たか たけし

Author:たか たけし


ビッグコミックスペリオール「住みにごり」連載中



週刊ヤングマガジン「契れないひと」連載 全3巻



たかたけしの店 https://suzuri.jp/takatakeshi



お仕事などの連絡先 takatakeshi300@gmail.com

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